最近ではあまり耳にしなくなった言葉

『流れ』

あるのか?ないのか?

そんな疑問を1度は持った事があるのではないだろうか?

流れの解釈は人によって様々だと思うが

私の解釈はこうだ。

『運の偏り』

大切なのは偶然の偏りとは少し違うところだ。

これは持論ですが、運は線で偶然は点と捉えている。

 

例えば運を縦線だとしよう。

そこに横線を引き重なった箇所が偶然であり

流れとは縦線の上から波線を重ねるイメージかな~

決してピタリとは重ならないけど重なる箇所が多くなる

伝わります?

正しいか否かは別として私の運と偶然との違いはそんな感覚です。

 

だから何だ?

ってな事になりそうですが、

私にとってはこの流れという不確かな物が麻雀を打つ上でとても重要な気がしてなりません。

押したり引いたりの基準になることさへあります。

例えば6巡目に何気なく切った不要牌がダマの親満にささる。

カンチャンの赤5を入れて先制3面チャンのリーチが

役無しのダマペンチャンに引き負ける・・・

そんな理不尽な現象は麻雀では日常茶飯事ですよね。

これをどう捉えるか?

技術では補えないにくい部分。

つまり運の要素が強く占めている麻雀の最も難しいところだ。

これはもちろん偶然だとも言える現象ですが、

それだけでは済ませたくない私の体感データだけではなく、

禁断のデータもあります。

今の麻雀台(アルティマ)はその日電源を入れてからの収支が席ごとに確認できます。

特徴的なのは80%以上の確率で収支が偏ってるということです。

簡単に言えば、確実に良い席と、確実に悪い席が存在してるのです。

良い席はアガりやすい、放銃しにくい。

悪い席はその逆です。

しかしその現象はどこかで収束していってます。

どこか?

という箇所が非常に難しく、人が変わった瞬間なのか、ミスをした時なのか

とにかく確実に何かが変わる瞬間というのが存在してることは確かです。

 

運=流れと簡単に考えることが出来れば答えはすぐにでも出ます。

運が良いときはアガりやすく、放銃しにくい訳ですから

ストレートに麻雀を打てば良く、

リーチ負けや放銃が多い場合、いわゆる運が悪いと感じた時は細心の注意を払い

トップを取るという思考より、2着が最善という思考に早い段階からシフトチェンジした方が

大怪我せずにすむだろう。

もちろん、運=流れという方程式が成り立てばという話ですが。

 

流れを作るという事は運を良くするという事だと考えれば

流れと言う言葉にそこまでの違和感を感じないはずだ。

ただし気をつけなければならないのは、全く力のない人間が流れが悪いと勘違いすることだ。

 

毎回打率2割のバッターはスランプと言わないのである。

麻雀も一緒だ。

え~!それ切るの?

それリーチするの? それダマなの?

それ鳴くの? それ鳴かないの?

それ押すの? それ降りちゃうの?

そんな疑問ばかりの麻雀を打つ人が負けた時に

『流れが悪い』

そんな言葉を聞くと昔の自分を思い出してしまうww

 

どうすれば運を自分に向けられるか。

どうすれば良い運を手放さずにすむか。

どうすれば悪い運を払拭できるのか。

 

そんな事を一切考えずに麻雀が打てるのならどんなに楽か。

 

ツモクラテスという漫画にこんな言葉がある。

富良が積倉に

『あんたは相手をどう思ってる?』と聞くと

積倉は

『彼らは皆、いい問題を出してくれる優秀な教師だ』

そして彼は言い放つ。

『麻雀は数学のゲームじゃなくて、哲学のゲームだ』

 

※哲学とは?

原理を理性によって求めようとする学問。

また、経験からつくりあげた人生観。

とある。

 

私のいつも引っかかっていた麻雀に対しての理不尽さや不条理。

自分がどうしてここまで麻雀に惹かれていったのか・・・

それはもしかしたらこの言葉に集約されているのかもしれない。

麻雀パラドックス34局へ続く。

 

 

 

 

 

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